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日本・町並み探索 |
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2007/09/16発行 |
伊賀上野は 忍者の里 松尾芭蕉の生誕地として知られています。
関が原後 戦国武将・藤堂高虎が移封され 城を大改修し 城下町の整備を行いました。
城の南側に 方形に区画された町が広がっています。<取材 2007・8>
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松尾芭蕉は 1644年(正保元年)この地 この家で生まれました。 藤堂新七郎家に仕える武士でしたが 俳諧を学び のち武士を辞めて江戸に出ました。 |
伊賀上野にある 芭蕉五庵のひとつ 「蓑虫庵」の庭です。 門弟であった 服部土芳が造った庵で 1688年に建てられました。 芭蕉がここを訪れ 「みの虫の音をききにこよ草の庵」 の句を贈ったことから 蓑虫庵と名づけられたと言います。 |
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1608年 藤堂高虎が 入城し大改修をしました。 天守は完成を待たずに 暴風雨で倒壊したそうです。 現在の天守閣は昭和10年に 民間の私財を投入して 復興されたものです。 |
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西の大坂(豊臣)に備えて 西側の石垣をより高く造ったといいます。 |
この天井は いとう旅館の座敷にあるものですが 明治になって城を取り壊す際に 移築したとのことです。 |
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組紐は上野の特産品で 町のあちこちに組紐屋が目につきます。 この廣澤徳三郎商店は 新しいようですが きれいな造りをしていました。 |
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崇廣堂は 文政4年(1821)に十代藩主 藤堂高兌により 藩士の子弟の教育のために作られた藩校です。 赤門の中は広い敷地で 講堂や武道場がありました。 現在 敷地の半分は中学校になっています。 |
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講義などを行った 講堂は7間四方もある大きな広間です。 |
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町の北寄り 丸之内 で見かけたのは ツインの蔵です。 町中の何ヵ所かで こうしたツインの蔵を目にしました。 |
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町の北寄りを東西に走る 本町通りには 老舗が並んでいます。 高級車が停まっている店は 「砂糖 田中商店」 の看板を掲げてあります。 |
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本町通りにある 菓子舗 「湖月堂」の並びにも 2階に変わった形の「虫籠窓」のある立派な店舗がありました。 |
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本町通りにある 菓子舗「おおにし」。 角のたばこ店も懐かしい風情です。 |
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広小路駅から東へ伸びる通りの先に 「大井邸」 がありました。 この通りには 古い姿を残した建物が集まっていました。 |
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同じ通りをさらに東へ行ったところに 「滝本酒造」があります。 2階軒下に開かれた 「虫籠窓」に 家の格式を感じます。 |
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しかし 建物の保存が容易でないことを 見せつける家も見かけます。 |
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伊賀上野で見かけた 商家の基本的な造りです。 縦格子、 2階の塗籠(ぬりごめ)壁と虫籠(むしこ)窓、窓下の羽目板 などなど・・。 |
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町を南北に通る 中之立町通りを横に入ったところに 赤井家の武家屋敷があります。 |
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民家も 玄関先をきれいに飾っています。 柵に掛けてある箱は紙製のようですが ポストとして使っているようです。 |
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城の東側にある下屋敷通りへ行ってみましたが きちっと残された 武家屋敷は少ないようでした。 門も土塀も きれいに保つのが 難しいのでしょう。 |
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町のあちこちに 古い建物を生かした旅館が何軒かありました。 |
ご鑑賞ありがとうございました。